こんばんは。
私のCarasというネームは身につけているカラスの様な仮面がモチーフなのですが、あれはヴィネチアの工芸品として有名なマスケラ(マスク)です。拙いイタリア語を携えてヴィネチアを訪れた際に仮面工房で魅入られてしまった、職人さんの手作りの逸品です。
とまぁその話は置いておいて…今晩はそのヴィネチアの仮面が密接な関係にあるカーニヴァルもとい謝肉祭についてお話したいと思います。
日本では”祭”とほぼ同義として使われることもあるこのカーニヴァルとは一体どんなものなのでしょうか?
Contents
カーニヴァルとは?
現在では宗教色の感じないお祭りのイメージとなっていますが、そもそもカーニヴァルはキリスト教諸国での習慣です。
カーニヴァルの語源としては、ラテン語の【carnem(肉を)levare(取り除く)】です。
四旬節の始まる灰の水曜日の前夜に行われた、断食のために肉にお別れをするパーティーからこう呼ばれるようになったという説が有力です。四旬節とはキリスト教の復活祭(イースター)の前46日間のことでその初めの日は、焼いた木製の十字架の灰などを儀式に使用するため、灰の水曜日と呼ばれています。
ちなみに旧約聖書の中では46日(日曜日を抜いて40日)という期間を準備期間として語られるエピソードが複数あり、重要視されている日数でもあります。
カーニヴァル自体の期間は1週間ほどで、最終日はパンケーキ・デイ(肥沃な火曜日、告悔火曜日、肉断ちの火曜日)と言われ、卵を消費しきるためにパンケーキを食べる習慣もあります。
キリスト教徒にとってこの四旬節の46日間は、復活祭に備えて飲食や生活態度を厳しくし、身を清める期間です。この節制の前に楽しもうというのが本来のカーニヴァルでした。
このカーニヴァルの起源はローマの冬至祭『サトゥルナーリア』です。『サトゥルナーリア』という名前は農耕神であった『サトゥルヌス』からきています。
この祭は12月25日に始まり、冬の悪霊を追い払い、春の豊作を祈願し、贈り物を交換し合うお祭りでした。
日付や贈り物で気付く方もいるかと思いますが、このお祭りはクリスマスの起源の一つとしても知られていて、ヨーロッパの北部ではクリスマス、南部ではカーニヴァルとして行事が分かれていきました。
ローマのサトゥルナーリアは歴史を学ぶ上でよく現れる文化なので覚えておくと面白いかもしれません。
現代のカーニヴァル
本来は宗教色の強いカーニヴァルですが、現代ではほとんど宗教色の感じない文化の一つとして見られることが多いです。有名なものは年中行事や観光資源とされ、カーニヴァルを見るためだけに訪れる人も多いことでしょう。
リオ・デ・ジャネイロのサンバ・カーニヴァルなど、本来の習慣に囚われずに独自の発展を遂げたものも多くあります。サンバがアフリカから連れてこられた奴隷達がブラジルの音楽と合わせて作り出したダンスのように、世界各地のカーニヴァルはその土地や文化と根強く結び付いています。
ドイツでは仮装に身を包みながら独特な挨拶を交わし、お菓子を投げることで有名です。
ヴィネチアでは妖艶なマスクのイメージが根強いと思います。
イヴレーアではオレンジを投げつける祭りとして観光に大人気です。
その他の国と比べて日本では固有のイメージは弱く、カーニヴァルと言う言葉は”祭”と同義として使われている印象がありますね。
カーニヴァルの仮装
ヴィネチアのカーニヴァルなど一部の地域ではカーニヴァルといえば仮面や仮装が有名ですよね。ではこの仮装はなんのためにしていたのでしょうか?
先ほど説明したようにカーニヴァルの起源であるサトゥルナーリアには冬の悪霊を追い払うという役目もありました。この時に悪霊に対する威嚇の手段として仮面や仮装に身を包んだのが最古の役目です。
中世ではカーニヴァルの期間は貴族と雇用者の間で立場を入れ替えることがありました。これは社会的立場を忘れようという考えから生まれています。
仮面や仮装もこの立場を忘れて楽しむという取り組みにマッチするため、人々は再び仮面や仮想で身を包むことを楽しむようになりました。
カーニヴァルにより生まれた作品
このカーニヴァルの期間は独特な仮装や仮面に身に包む人が多かったため、多くの芸術家の創作力を刺激したとも言われています。
有名どころをいくつか紹介して、終わりにしたいと思います。
ロベルト・アレクサンダー・シューマン
謝肉祭 〜4つの音符による面白い情景〜
ウィーンの謝肉祭の道化
エクトル・ベルリオーズ
ローマの謝肉祭
妖艶な音楽を流しながらワインを片手に肉料理を楽しむ…今夜はそんな夜にしたいと思います。